東海村JCO臨界事故を検索してはいけないのなぜ?モルモット発言を考察

東海村JCO臨界事故を検索してはいけないのなぜ?モルモット発言を考察

1999年9月30日に日本初の臨界事故が起きました。通称「東海村JCO臨界事故」はネット社会で検索してはいけない言葉であると言われています。この歴史的事故と言っても過言ではない東海村JCO臨界事故は、どうして検索してはいけなのでしょうか?

この記事では、東海村JCO臨界事故を検索してはいけない理由についてまとめています。また、「モルモット発言」にも触れているので、この事故を普段とは別な角度から考察してみたい人たちは参考にしてみてください。

目次

東海村JCO臨界事故とは?

東海村JCO臨界事故とは、1999年9月30日に茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO東海事業所」で発生した日本初の臨界事故です。ウラン燃料を加工中、作業員がマニュアルを逸脱し、大量のウラン溶液をバケツで沈殿槽へ移した結果、臨界状態が生じました。

この臨界は約20時間続き、強い放射線が放出されました。作業員3名が被ばくし、うち2名が数ヶ月後に急性放射線障害で死亡したと記録されています。近隣住民や作業員ら600人超が被ばく検査を受けました。

事故は核燃料取扱いの安全管理体制の不備を浮き彫りにし、国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4と評価されました。以後、原子力施設における規制強化と教育徹底が進められ、日本の原子力安全政策に大きな転換点をもたらした出来事とされています。

東海村JCO臨界事故を検索してはいけないのなぜ?

さて、歴史的に風化させてはならない「東海村JCO臨界事故」を検索してはいけないと言われるのは、なぜなのでしょうか?

その理由は、東海村JCO臨界事故で被爆した篠原さんの経過を示す写真が画像検索でヒットするためです。実際に検索して表示される画像に写っている皮膚が次々と剥がれていく様子は事故の恐ろしさを物語っており、心の準備をすることなく閲覧すると精神的なショックを受ける可能性があります。

ただし、2025年9月現在は「東海村JCO臨界事故」とGoogleで画像検索しても、すぐに関連の写真は出てこないようになっています。検索順位のトップとして表示されるサイトも事故を説明する有名な公式サイトが多いので、そこまで危険視する必要はないと言えるでしょう。

むしろ、グロテスクなものとして闇雲に隠すよりも、被爆の恐怖を知ることで原子力の取り扱いに対する危機意識を持つことができるという考え方もあるかもしれません。加えて、事故が起きてから20年以上が経過している今日において、風化の問題も看過できません。したがって、「検索してはいけない」という言葉で封をするのは残された人たちにとってもネガティブな影響があると思います。

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大内さんはモルモットにされたのか?

なお、東海村JCO臨界事故で最も大量の放射線を浴びた大内久さんは、事故直後から「モルモットにされたのではないか」という議論の的となってきました

これは彼自身が治療中に「おれはモルモットじゃない」と訴えたと記録されているためです。この発言は、前例のない治療を受ける苦痛や不安の中で、「自分が実験台として扱われているのではないか?」と感じたことを示しています。

けれども当時、世界的に見ても16~20シーベルトという被ばく線量は例がなく、医療チームも対応の指針を持ち合わせていませんでした。そのため、臍帯血移植や培養皮膚移植といった最先端かつ実験的な治療が次々と試みられました。これらは「人体実験」と批判される余地を含んでいましたが、一方で医療スタッフにとっては患者を救うための唯一の選択肢であり、医学的挑戦でもありました。

結果的に大内さんは83日間生き延びたものの、最終的には多臓器不全で亡くなりました。医学的には治療効果を十分に得られなかったものの、その症例は放射線被ばく医療の研究に大きな影響を与えました。つまり、大内さんが「モルモット」にされたというのは一面的な解釈であり、実際には、患者を救うための必死の試行錯誤が、結果として人類全体の放射線医療の知見拡大に結びついたのです。

したがって、「モルモットにされたのか」という問いに対しては、本人の苦しみと尊厳を忘れてはならない一方で、医療側の真剣な救命努力と学術的意義の両面を見据える必要があります。この二つの視点を併せ持つことこそ、事故の教訓を正しく継承する姿勢といえるでしょう。

悲惨な事故はいずれも残酷な一面を持っている

東海村JCO臨界事故は犠牲者を出した悲惨な出来事です。当然、人が亡くなるような事故ですから残酷な一面を持っているのが自然なことです。

真正面から記録を見ることが必ずしも良いことであるとは言えませんが、かと言って「恐怖体験」として呪いをかけるような位置付けにしてはなりません。

歴史と向き合うことは未来を活かす知恵となります。ただでさえ時の風化が容赦なく襲ってくるのですから、画像の閲覧にだけ注意さえすれば検索して調べることは何ら問題はないのです。

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この記事を書いた人

日本オバケモン編集部です。私たちは心霊現象や都市伝説を専門として記事形式で情報を伝達するプロフェッショナル集団です。ライター、編集者、研究者、校閲者から構成されたチームで記事を制作しています。

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