「そしじ」という漢字を待ち受けにすると幸運になると聞いたことのある人たちもいるかもしれません。実際、待ち受け画像を変えるだけで人生が好転するなら、誰だって試してみたくなりますよね。「幸せになりたい」と言う願いは万人共通であり、その実現以上に大切なことは他にありません。
それでは、実際のところ、そしじの待ち受けに効果はあるのでしょうか?
この記事では、「そしじの待ち受けに効果はあるのか?」という疑問について考察しています。また、そしじという漢字を巡る言説に関するデマの真偽にも触れているので、興味のある人たちは参考にしてみてくださいね。
そしじとは?
「そしじ」とは、近年スピリチュアル界隈で話題になっている特殊な漢字です。「宗」「主」「神」の三文字を組み合わせた合成文字であり、「愛」「感謝」「調和」といった高次の精神性を象徴する意味が込められていると言われています。具体的には以下の画像に示されている通りです。

一方で、そしじについては「古来より存在したが、戦後GHQによって封印された」「正式な漢字だったのに抹消された」などの説も語られています。しかし、こうした主張を裏付ける信頼できる史料は確認されていません。『大漢和辞典』などの大規模な漢字辞典や歴史的文献に「そしじ」という文字は収録されておらず、公的な文書や学術研究でもその存在は裏付けられていないのが実情です。
そのため、歴史的・学術的に認められた文字というよりは、現代においてスピリチュアル的に創作された象徴文字とみるのが妥当といえます。つまり、「そしじ」は学術的根拠を持つ漢字ではなく、精神的・象徴的な意味を付与された造語的存在なのです。
そしじの待ち受けに効果はある?
「そしじ」という漢字をスマホの待ち受けにすると幸福が訪れるといった噂がネット上に広がっていますが、本当に効果があるのでしょうか?
結論から言えば、「そしじ」を待ち受け画像に設定することで幸せになるといった効果はあると言うのは難しいです。これは「そしじ」に限らず、待ち受け画像で人生の幸福を左右なんてことはあり得ないと言わざるを得ません。
日本には古来より「言霊信仰」が根付いていると言われています。「そしじ」に特別な力があると信じている人は漢字それ自体に精霊または霊力が宿ると思っているわけです。勿論、私たちにとって言葉の影響力は甚大であり、人々の認識を構成する極めて重要な要素であるのは事実でしょう。
しかし、漢字それ自体に人々の幸不幸を決定づける力があるという科学的根拠はありません。
なかには、「そしじを待ち受けにしてから良いことがあった」と述べている人もいますが、それは単なる偶然に過ぎません。日常生活を送っていれば、良いこともあるし、悪いこともあります。そのため、「そしじ」を待ち受けにした人にたまたま幸せが訪れたに過ぎないわけです。
ドライに聞こえるかもしれませんが、結果から原因を正当化する論法によって一部の人たちに「そしじ」が祀り上げられているだけと観察するのが自然なことだと思います。
そしじを巡るデマの真偽
そもそも「そしじ」と言う漢字が歴史的に存在したかどうかは、非常に怪しいと言わざるを得ません。「そしじ」の存在を主張する人たちは出典を明らかにしていません。
歴史的に消されたのであれば、「出典もろとも葬りされられた」と主張する人もいるかもしれませんが、だとすれば、「そしじ」が今頃になって世の中に出てくること自体がおかしいと言えます。出所が抹消されたものを現代人が見つけることなんて不可能なわけです。
この状況だけでも、「そしじ」は現代人による創作であり、それにまつわる話は嘘八百のデマであると結論づけられるでしょう。なお、そしじに関する独自の考察をまとめているサイトでもインターネット上の情報を整理して「造語」であると結論づけています。
2006年 造語として書家が作品を発表
2007年 書家が揮毫展という場所で作品(そしじ)を出展
2009年 9月 某ウィークリーレポートにて、『そしじ』という言葉書かれる
2010年 11月 某ウィークリーレポートにて「『そしじ』は宗、主、神を合わせた造語」との記述あり
2021年 あるYoutubeで「そしじは今の辞典では出てこないけど、古い辞典では出てくる」との発言あり
そしじ.COM『「そしじ」の起源や由来はどこにあるのか。”造語説”と”昔から存在している説”2つの起源について時系列から考える』より引用
インターネットでは、アテンションを集めたいが故にデタラメを真実のように語る人たちがいることを忘れないでください。フィクションを楽しむのは自由ですが、「幸せになりたい」という健気な心理に漬け込んで商売しようと企む人の悪意に騙されてはいけません。
神社も乗っかっているのか?
SNSの情報を見る限り、一部の神社では「そしじ」を掲げているところもあるようです。しかし、「神道が歴史的な文脈の明らかではないものを掲げるのか?」という疑問は残ります。
これは憶測にすぎませんが、「そしじ」という信仰をムーブメント化するために、だれかがデマ情報を拡散している可能性もある気がします。
あるいは、昨今神社も訪れる人を増やすための施策として「そしじ」という話題に乗っかっているのかもしれません。これに関しては、余力がある時に調査してみたいと思います。
フィクションを楽しむのは自由
歴史的な文脈はないとはいえ、「そしじ」を信じるのは個人の自由です。科学や歴史の根拠がないものを信じてはいけない決まりもありませんし、そうした存在を根っこから否定するのはかえって現代の思考に寄りすぎた発想なのかもしれません。
しかしながら、他人に騙されるようなことはあってはいけません。いわゆる「そしじグッズ」を販売している人たちにとっては信じている人がいてくれた方が都合良いわけですから、デマでもなんでも商売として語ることでしょう。
実際、私たちの生活では、「マーケティング」という言葉のマジックで嘘が蔓延していることも少なくありません。行動科学という分野が発展したこともあって、人々の心理を触発した戦略も当たり前のように実行されていますから、ここだけを槍玉にあげるのもアンフェアな話のように思います。
いずれにしても、「そしじ」を巡るトピックは一定の距離を保ちながら、人々の幸福を阻害しない程度のエンタメとして利用されるのが丁度良いのではないでしょうか。
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